私の死生観

グリーフケアの学びも佳境に。

 

 

先日は上智大学のオンライン講座で

 

飛騨千光寺の大下大圓住職による
スピリチュアルケアについての
学びがありました。

 

 

僧侶、そして
臨床スピリチュアルケアワーカーとして

 

終末期の患者さんやご遺族

また被災地でのグリーフケアなどで
活躍されていらっしゃいます。

 

 

 

その中で、グリーフケアに携わる者として

 

「自分の死生観を持つこと」

 

の大切さを教えていただきました。

 

 

 

自分の人生はこれでよかったのか?

死んだら自分はどうなるの?

死後の世界はあるの?

 

 

そんな患者さんからの
問いかけに対して

 

自分はどんな答えを
持ち合わせているだろうか。

 

 

 

あらためて考えた時にふと浮かんだのが

「魂は自然の中へ還る」

 

大好きな場所♪

 

 

魂は、自然の中へ還っていく

 

そう思ったら
私はなんだかとても心が安らかになりました。

 

 

 

死とは

大切な人との別れだったり

肉体の喪失であったり

人生の最終地点だったり

 

 

ある人にとっては
痛みや苦しみの先にあるもの

 

そんな風に感じることもあるかも知れないし

 

 

 

実際私も自分の死を目の前にしたら?
と思ったりもするけれど。

 

 

 

生きている間はいろいろあったけれど

 

死という区切りを迎えたその後は
みんな同じく自然の一部になる。

 

 

 

こんな美しい景色の一部に
自分もなれるのだとしたら

 

 

なんだかそれもいいな、って思える
自分に出会いました。

 

 

大圓住職が、宗教の役割とは

 

・見えないものを可視化すること

・生と死をつなぐもの

・生きる意味を開く助けになるもの

 

そんな風におっしゃっていました。

 

 

 

私もこれまでのグリーフケアの学びの中で

 

かつての日本、スペイン風邪で
多くの死者が出た時代

 

 

人々の生活の中には今よりももっと
宗教であったり

 

 

万物を超えた大いなる存在への
畏敬の念、スピリチュアリティが
深く根付いていたからこそ

 

 

病を患うこと
そして死というものに対しても

 

大きな自然の中の営みの一つとして
人々の心の中に
受け入れられていた

 

そんなことも知ることができました。

 

 

 

 

グリーフケアについて学べば学ぶほど

 

自分には何ができるのだろうか?
という思いばかりが
大きくなっていたけれど

 

 

グリーフケアとは

 

死、喪失というものに
新たな意味を見出していくこと

 

そしてそこから新たに
人生をもう一度作りあげていくこと

 

 

そんなサポートをすることなのかな
と感じるようになりました。

 

 

ハートの紫陽花、見つけました。